沿革

  • Inauguration-jarlot

    オリヴィエ・ルフレーヴ・フレールの設立目的

    ムルソーとシャッサーニュ・モンラッシェのワインを探しているアメリカの有名なインポーターさんの希望から全ては始まりました。当時の彼の家族経営のドメーヌは、これらのアペラシオンの畑を所有していなく、もっと多くのぶどうを醸造出来る設備も整っていなかったので、ワインを醸造し熟成するオリヴィエ・ルフレーヴという彼の名前をつけた会社を立ち上げることを決意しました。ブルゴーニュで他に類を見ない彼の考えとは、ぶどうやマストを買い、独自の方法で醸造し熟成させ、その後直ぐにプリムール(新酒)として売り出すことです。この奇抜な賭けを信じようと思ったのはオリヴィエ一人だけでなく、多くの人がこのプロジェクトに賛同しました。彼の兄のパトリックは共同株主になることで、財政支援に貢献しました。叔父のヴァンサンも投資家そして顧問として、ぶどう栽培農家との関係作りに協力しました。そしてジャン・マルク・ボワイヨは1984年~1988年まで、メゾンの為に醸造をしました。彼らの協力により、“オート・クチュール”のネゴシアンの誕生となりました。

  • Franck Grux

    フランク・グリュ ドメーヌに醸造長として就任

    信頼できる醸造家として、ムルソー村のドメーヌ・ルーロの若くて才能のあるフランク・グリュを迎えました。このドメーヌは25年前から自由な発想で、彼らの直感とノウハウを斬新に表現してきました。

  • Bouteilles Vin Leflaive

    50万本販売突破  

    彼の豊かな創造性のお陰で、オリヴィエ・ルフレーヴは50万本を越えました。

  • Ouverture table hôtes Olivier Leflaive

    ラ・ターブル・ドリヴィエ・ルフレーヴ

    まず何よりもオリヴィエが求めているものは、“一杯を分かち合う喜び“ですから、地元の郷土料理と一緒にブルゴーニュの素晴らしいワインをテイスティングしながら、より多くの方々に知ってもらう為に、ブルゴーニュで初めてのタイプのレストランを開きました。

  • Etiquette Chablis Olivier Leflaive

    シャブリへの冒険

    白ワインのスペシャリストでビジネスも順調なオリヴィエはシャブリのアペラシオンへと広げて行きました。

  • Patrick Leflaive vignes

    パトリック ドメーヌに参加

    保険業者を引退したばかりのパトリックが、オリヴィエの右腕となる為にグルノーブルから来ました。彼は、会社の社長の1人に就任し、代表者として海外の広報活動を担当をしています。

  • Bouteilles Vin Leflaive

    ロジスティック拡張

    オリヴィエ・ルフレーヴは高度なロジスティックとして、ムルソーに新しい倉庫を建て規模を広げ、最適な条件の下でワインが保存され出荷出来るようにしました。

  • Hôtel La Maison d'Olivier Leflaive

    ラ・メゾン・ドリヴィエ・ルフレーヴ

    今まで通り、より多くの人々をレストランの方で迎えながら、ブルゴーニュを訪れる皆様のかけがいのない時間がより長いものとなるように、、、。という願いから、オリヴィエはホテルを始めることにしました。

  • Julie et Olivier Leflaive

    ジュリー 帰る

    オリヴィエの二女 ジュリーが父の元に戻り、ホテルとワインツーリズムを担当。

  • jean-soubeyrand

    ジャン・スベイロン

    オリヴィエは将来の副社長として、元 義息子ジャン・スベイロンを任命しました。

  • prix-oenotourisme-2009-leflaive

    ワインツーリズム 1位受賞

    ホテル・レストラン部門の全国ワインツーリズム賞で1位受賞

  • les-vignes-puligny-montrachet

    ぶどう畑を相続

    長い年月を経て、オリヴィエとパトリックはついに親族の遺産相続により、素晴らしいテロワールを手にしました。シュヴァリエ・モンラッシェ・グラン・クリュ、バタール・モンラッシェ・グラン・クリュ、ピュリニー・モンラッシェ・プルミエ・クリュ・レ・ピュセル、ピュリニー・モンラッシェ・プルミエ・クリュ・レ・フォラティエール、ムルソー・プルミエ・クリュ・ブラニー・スー・ル・ド・ダンヌ

     

  • シャンパンバレンタインルフレーヴ

    ブランドシャンパンバレンタインルフレーヴの作成